もつ鍋の発祥・歴史
ホルモン・もつ(鳥獣肉の臓物・内臓)のことについて
ホルモン・もつ(鳥獣肉の臓物・内臓)のことについて、ご紹介したいと思います。諸説、御座いますので、何卒、ご参考程度でお願い申しあげます。

1920年代(大正9年代)
精力を増強する料理のことをホルモン料理と言うことが、流行したそうです。当時のホルモン料理は、ホルモン(鳥獣肉の臓物・内臓)だけでなく、卵、納豆、山芋、スッポン等もホルモン料理と言ったそうです。
佐々木道雄「焼肉の文化史」(明石書店)、多田鉄之助「続たべもの日本史」(新人物往来社)による
この後、昭和になると、料亭「山水楼」さんや、洋食屋「北極星」さん等が、内臓料理をホルモン料理として提供していたそうです。
その影響で、戦前において、大衆食堂などで出された内蔵料理のことを、ホルモン料理と称されるようになったそうです。
1940年(昭和15年)
洋食屋「北極星」さんは、「北ホルモン」という語句の商標登録を取得しています。
ホルモンとは、内臓のことで、劣化が早く、部位によっては、グロテスクな見た目や臭みがあること等、消費者の好みが分かれるものであり、一般の人々が口にしたり、店頭で見かける機会は、少なかった様です。
ホルモン料理は、戦前から、好奇を寄せる料理として、また、一部集落内にて消費される食文化があったことは、確かな様です。
1970年代(昭和45年代)
ホルモンの語源は、内臓は、捨てる部分なので、大阪弁で「捨てるもの」を意味する「放(ほ)るもん」から採られたという説をとる人々が現れ、メディア等を通して主張されるようになったそうです。
(この説は、後に、否定されています)
2006年3月15日(平成18年)
テレビ番組「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」のガセビアの沼コーナーでは、「放(ほ)るもん=ホルモン」の語源説は、本来は、ホルモン分泌を促進する滋養料理であることに因んでいるため、誤りとして紹介されました。
2011年1月(平成23年)
特例社団法人日本食肉協議会は、「ホルモン」の語源について、下記のように説明しています。
ホルモンの語源は、大阪弁の捨てるものを意味する「放(ほ)るもん=ホルモン」説や、医学用語であるドイツ語のHormon(ホルモン)、英語のhormoneは、動物体内の組織や器官の活動を調節する生理的物質の総称から、栄養豊富な内臓を食べると、活力がつくとして名付けられた説など諸説あります。
ホルモン料理の名称は、戦前から存在し、戦前においては、内臓料理に限らず、スタミナ料理一般、例えば、スッポン料理などもホルモン料理と呼ばれていたことから、「放(ほ)るもん=ホルモン」説は違うと思われます。
明治維新の頃の西洋医学(主にドイツ)の影響を受け、栄養豊富で活力がつくとして名付けられた説が、有力・主流であるものと思われます。
一般的なもつとは?
鳥獣肉の(ぞうもつ=臓物・内臓)のことです。「ホルモン」、畜産副生物、内臓肉とも呼ばれています。
もつ=ホルモンですので、どちらでも間違いではないです。
もともと日本では、スタミナ料理のことをホルモン料理と称していたが、時期は不明だが、臓焼肉を指して、ホルモン料理=もつ料理と言うようになったそうです。
まとめますと
・内蔵料理は、戦前から、様々な調理法で、全国各地で食されていた。
・内蔵料理を含めたスタミナ料理・滋養料理一般の事を、ホルモン料理と称していた。
・時期は不明だが、内蔵料理のことだけをホルモン料理・もつ料理と称すように変わった。
第2次世界大戦、終戦後の間もない頃、もつとニラを一緒に、鉄鍋がなく、アルミ鍋で炊いて、醤油味で味付けして食べていた事が、始まり、ルーツと言われています。
炭鉱夫が栄養のあるもつを好んで食べていたとも言われています。
* もつ焼き・ホルモン鍋とも言われています。
戦前から、ホルモン料理は食されていたが、戦後、食べるものに苦労していた為、食べる機会、食べる人達が、増えていきました。
戦後に食べる事が目立った為、戦後が、もつ鍋の始まり、ルーツと言われていると考えられます。
それでは、福岡・博多でのもつ鍋の発祥・歴史について、ご紹介したいと思います。
諸説、御座いますので、何卒、ご参考程度でお願い申しあげます。

1945年~(昭和20年~)頃
戦後の食糧難の時代で、食べるものに苦労していたので、安価な食材であることから、食べる機会が増えていきました。
戦前より、ホルモン料理は、全国各地で、食されていましたが、福岡では、万十屋さんが、歴史の古いお店です。
1946年(昭和21年)頃に創業
和菓子屋だった万十屋さん、初代、松隈ハツコさんが始めた「すき焼き風のもつ鍋」です。
元々は、万十を作っていたのですが、終戦後、小麦粉も砂糖も手に入りにくくなり、万十を作れなくなってしまいました。
そんな、食糧難の時代に、唐津からもつを売りに来ていたのを知った事をきっかけに、生活のために、万十に変わるもつ鍋を始めました。
当時は、その時にある野菜を使っていました。キャベツを入れられるのは、5~6月。セリやノビルなども使っていましたね。
いつでも同じ野菜を入れられるようになったのは、1963年(昭和38年)くらいからですね。
*現在の主流である博多もつ鍋は、スープが入っており、スープありのもつ鍋とは異なります。
1953年(昭和28年)創業
元公務員の井上富子さんが、店作りに協力した河野貴六さんとともに創業しました。
当時は、1人前100円以下。スープなし、もつとにらのみで味わうのが主流でした。
余りの酒を鍋に入れる。近所の製麺所から麺を持ち込む等、人それぞれの楽しみ方があったとの事です。
食べに来ていた馴染みのお客さんが、最後の仕上げに食べてみたいと持ち込んで
試してみたのが、「ちゃんぽん麺」。
これが、とっても美味しかったのでしょう。
もつとにらの旨味が、タレに溶け出し、そのタレを、充分に吸い込んだちゃんぽん麺の美味しさが評判となっていったそうです。
1960年(昭和35年)~1965年(昭和40年)頃
キャベツの生産量が、急速に伸びた年代となります。
経済成長に伴い、食糧生産が進み、生産量の増えたキャベツが、さらに具材に加わり、「もつ、にら、キャベツ、ちゃんぽん麺」のもつ鍋になっていった様です。
これから後、(スープあり)
「もつ、にら、キャベツ、醤油味スープ、ちゃんぽん麺」の「スープありのもつ鍋」が現れた様です。
1972年~1978年(昭和47年~53年)頃
今でも営業されている、福岡市内の有名なもつ鍋専門店の多くが、この年代に創業されています。
もつ鍋専門店の新規開店が、相次いだ年代といったところでしょうか。
もつ鍋の美味しさ、人気に気付き、商売としてやっていけると思われた頃なのかもしれません。

お店が増えたことも要因となり、福岡・博多の人々に、親しまれるようになり、「もつ、にら、キャベツ、お店独自のスープ、ちゃんぽん麺」の博多もつ鍋が、確立されていったと考えられます。
また、味噌味スープ、水炊き風スープ、ぽん酢で食べるスタイルを提供するお店も出てきました。
■ 親しまれる別の要因 ■
もつ鍋専門店だけでなく、福岡・博多の焼鳥屋、居酒屋などでも、一品メニューとして、提供されていきます。焼鳥屋さんの玄関にぶらさがっている提灯に、「店名・焼鳥・もつ鍋」などと、書かれている提灯を、よく見かけるようになったものです。
もつ鍋専門店に足を運ばなくても、もつ鍋がぐっと身近になり、いつでもどこでも、気軽に食べることができるようになり、福岡・博多の人々に、どんどん親しまれていく事になっていきます。
■ 小話 1990年(平成2年) ■
福岡市中央区天神から近く、舞鶴という場所に、「もつ鍋・満満」さんが、ありました。博多華丸・大吉さんが、よくテレビなどで、ご紹介しているお店です。
カウンター5席くらい、テーブル4名席×2の小さなお店でした。
私もほんとに、よく通っていました。佐々木代表、元気かな??
人気がありましたので、直ぐに、目の前の広い方の空き店舗に移転されました。
レバー刺しが、ありましたので、こちらもお目当てでした。
美味しかったなぁ・・・。懐かしい。
現在は、福岡市早良区高取に移転され、営業されています。
1991年(平成3年)
株式会社ダイショー(福岡県福岡市東区)が、ストレートタイプのもつ鍋スープの販売を、スーパー等で開始します。
もつを買えても、スープの作り方が分からない。スープを作るのが、面倒くさいという方達に、喜ばれました。
これにより、福岡・博多の人々は、お店(外食)だけでなく、自宅でも、もつ鍋を食べるようになっていきます。
ますます、県民食、ローカルフード、福岡・博多の郷土料理、名物、名産となっていきました。
1992年(平成4年)
博多で営業していたお店が、東京に進出します。
テレビ等で、何度も紹介された影響で、「安くて、ボリュームもあり、美味しい」と一気にブームとなりました。
*もつ鍋は、新語、流行語大賞の銅賞を受賞しました。
もつ鍋屋の経験がない、洋服屋、建築業などからの異業種からの参入による開店も相次ぎました。
福岡・博多でもたくさんのお店が開店しました。
儲かると便乗して、開店したお店の評判が、良くなかったこともあります。
好評・不評とあった様です。
見た目がグロテスクなもつが入っていて、不評だったり、臭みのあるもつだったとの声もありました。
また、おやじ臭いイメージもあり、女性に受け入れられないといった事もあった様です。
一時的なブームにはなりましたが、間もなく終了しました。
お客様からの評価を得たお店だけは、今でも営業し、生き残っている様です。
■ もつ鍋は、博多名物なのか? ■
もつ鍋、ホルモン料理は、食肉処理場近辺の郷土料理であり、戦前から、似たような料理が、全国各地で食べられていましたが、この東京での流行(上記参考)により、福岡・博多地区のもつ鍋が、全国に認知され、一般的に受け入れられるようになった。従って、「博多名物」というのは、誤りである。と言う意見も御座います。
現実的には?
もつ焼き、ホルモン焼き(焼肉スタイル・焼鳥スタイル、煮込みスタイル、鉄板焼きスタイル)として、看板を出しているお店は、全国に存在していますが、「もつ鍋屋」として看板を出しているお店としては、歴史があり、老舗が多い。店舗数が多いのが福岡・博多です。郷土料理としての意識も昔から高く、福岡・博多に根付いているのは、間違いではないでしょう。
■ もつ鍋に似ているスタイルでのもつ料理 ■
*福岡県田川市の田川ホルモン鍋 1955年頃(昭和30年頃)*山口県下関市のとんちゃん鍋 1957年頃(昭和32年頃)
1993年(平成5年)以降
ブームが去っても有名店の人気はもちろん、もつ鍋自体の人気は、衰えることなく、福岡・博多の方々の定期的に食したい欲求、気持ちは変わらず、もつ鍋の発展、進化は続きます。
また、県外の方々をお連れする業態として、ラーメン、水炊き屋同様に、もつ鍋屋が選ばれ、よく利用される様になりました。
■ もつ鍋を年中、食べて頂きたい ■
お鍋ですから、やはり、冬場に食べたくなりますよね。また、もつばかりが目立ってしまいがちですが、体を作る食べ物としては、理想のスタミナ食なのだそうです。 もつが持っていない栄養をキャベツが、キャベツが持っていない栄養をにらが、そして、一味唐辛子が、にんにくがと・・・。 お互いないものを補い合っていて、非常にバランスの良い健康食なのです! しっかりと栄養を食べて、健康になりましょう!!
もちろん、博多県民は、夏・冬に関係なく、一年中、もつ鍋を食べます。
2006年(平成18年)頃
美容・健康に良いと、もつ鍋の人気が再燃しました。
第2次もつ鍋ブームとも言われています。
著名人・芸能人の方々も、もつ鍋が好きと公表し、その人気は、拡大していきました。
特に、九州出身・福岡・博多に、馴染みがある芸能人の方々の影響も大きかったようです。
もつ鍋のもつは、低カロリーで、コラーゲンやビタミンが豊富で、美容に良い。
にらやキャベツの野菜が、たくさん食べられるから、健康に良い。
という事で、女性の方からの支持が増えたお陰です。
また、通信販売をするお店も増えました。
これにより、全国への認知度が、さらに拡大しました。
昔は、昭和的な店内で、サラリーマンの殿方が、焼酎を飲みながら、酔いながら食べるイメージが強過ぎましたが、女性の方も食べられる様になり、もつ鍋人口が、急激に増加していきました。
また、もつ鍋の人気が再燃した為、
・福岡・博多の有名店(やま中さん等)で、修業された方が独立する。
・資本力のある会社・個人(辛子明太子のやまやさん等)が、博多・天神・中洲の好立地の場所に開店する。
・元々、焼肉屋(慶州さん等)を経営しており、多店舗展開のひとつにもつ鍋屋で開店する。
・元々、焼鳥屋(若杉さん等)をしており、もつ鍋屋に切り替えて、開店する。
様々な要因がありますが、まだまだ、もつ鍋屋が新規開店していきます。
2006年(平成18年)~2008年(平成20年)頃 「通信販売編」
この頃、楽天市場に出店されている黄金屋(東京都荒川区)さんが、通信販売でよく売れていた様です。
これは、もつ鍋を販売しているお店の出店が、少なかったせいもある様です。
楽天市場が、各地で出店説明会を開催し、県民グルメやB級グルメ等の出店要請の営業をされていた時期にもあたります。
通信販売全体の売上が伸びていた事もあり、福岡・博多のもつ鍋屋や明太子などの博多ならではの商品を取り扱う会社が、多数、新規出店しました。
また、それだけでなく、既に、楽天市場に出店しているお店が、商品アイテムにもつ鍋を新たに追加しました。
(水炊き屋さんのお店のもつ鍋や、それまでは、牛ロースや牛カルビ等のお肉を売っていたお店のもつ鍋など)
さらに、実店舗よりも、通信販売は、費用的に出店がしやすい事もあり、
・他業種などからの出店
・福岡県以外のもつ鍋屋の出店
(博多もつ鍋とうたっていても、博多の人ではない方が出店)
により、大いに賑わい始めました。
法人・個人店を問わず、多くのお店の出店が相次いだ年代でしょうか。
出店をやめるお店もありますが、その数は、増える一方です。
2008年(平成20年)頃
競争が激しくなってきたせいもあり、他店さんとの差別化をはかる為に、そのお店独自のもつ鍋の個性が、多様化し始めました。
スープは、これまで、醤油味スープ、味噌味スープが主流でしたが、以前から提供されていたお店もあると思いますが、チゲ味スープ、塩味スープ、キムチ味スープ、トマト味スープ、とんこつ味スープ、カレー味スープ、マー油味スープなどの種類が大幅に増えていきます。
具材にも変化が出始めました。
博多ならではの辛子明太子、ごぼう、玉ねぎ、厚揚げ、肉団子など、種類が増え、
レタスもつ鍋、蒸しもつ鍋を提供するお店も現れました。
締めは、ちゃんぽん麺だけでなく、ラー麺、もち等もあり、
チーズリゾットを提供するお店も現れました。
また、具材にもつが入った、1人様用のもつちゃんぽんを提供するお店も現れました。
こうして、もつ鍋は、ラーメン、水炊き、焼鳥の豚ばら・ねじねじ鶏皮と同様に、福岡・博多を代表するグルメとなりました。
ちなみに、もつ鍋屋の一品メニューでは、もつ天ぷら、もつとニラの卵とじ、もつ餃子などもあります。
2011年~(平成23年~)以降
老舗の有名店だけでなく、一等地にあり、アクセスがよく、行きやすいお店や、完全個室、今風な綺麗な内装のお店も特に女性の方達から支持され、営業年数は、比較的短いですが、新しいお店も人気が出ています。
老舗有名店と新しいお店が、共存している状況です。
2016年(平成28年)
実店舗の増加、通信販売店の増加、全国的にもつ鍋を食べて頂けている人口の増加により、競争が激化している様です。
もつ鍋の需要が、さらに増していることにより、
1.もつの価格が高騰しています。残念ですが、今後も上がっていくでしょう。
ちなみに2004年(平成16年)から、2016年(平成28年)の約12年間で、もつの仕入価格は、約3倍近くに、値上がりしています(当店調査結果)。
2.もつを確保するのが、難しくなってきている様です。
良質なもつを提供できるお店が、今後は、生き残っていくのかもしれません。
もつが不足している様です
1.もつ鍋の需要が、増しています。
特に冬場は、足りなくなっています。
2.不足の理由は、もつの為に、牛をさばく事をしないからです。
牛を食べる部位は、カルビやロース肉などの赤身肉と、もつ(内蔵肉)と大きく分かれます。
カルビやロース肉が消費されると、それに伴ってもつが市場に出回ります。
しかし、現在は、カルビやロース肉の消費が少ない為、もつ不足となっている様です。
3.国産牛が減っています。
日本国内の畜産農家が、収入が少ない、高齢化や後継者不足などの理由により、廃業されています。
それにより、国産牛自体が少なくなっています。
外国産、輸入もつは、手に入りやすいですが、もつ鍋屋で使うことは、少ない様です。
■ 小話 もつ臭みについて ■
昔は、確かに、独特なもつの臭みを、強く感じた事もあります。これは、牛をさばく際の作業場の環境、冷蔵トラック車がない時代、また、配達、冷蔵での保管技術の低さが原因にあり、劣化が、急速に進んでしまい、臭みが出てしまうという事です。
これにより、濃いめの味付け、濃いめのスープ、にんにくを多めに入れる事で、もつの臭みを消していました。
現在は、冷蔵保管技術などが向上し、もつの臭みがぐんと減りました。
そのおかげで、当店では、あっさりな味のスープでのご提供が出来るようになり、女性のお客様、もつが苦手だった方にもお召しあがり頂けるようになりました。
もつ鍋発展会主催 ご挨拶
もつ鍋は、博多の郷土料理ですので、誠実に大切に営業しております。歴史、文化の正しい情報発信や、関係業者さんとの勉強会を開催し、お客様に喜んで頂けます様に、よりよい発展に努めております。
他県の会社さん等も、もつ鍋の通信販売をされていますが、よろしければ、福岡・博多で営業しているもつ鍋屋さんでの通信販売を、是非、お楽しみくださいませ。
福岡・博多のいろんなもつ鍋屋さんの工夫・個性が、お楽しみ頂けますと大変嬉しい限りです。
(良之助本店よのすけほんてん 所在地:福岡市東区香住ヶ丘2-26-24)
もつ鍋の発祥・歴史には、諸説、御座いますので、何卒、ご参考程度でお願い申しあげます。
創業者 謹白
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